アメリカ禁酒法時代

かつてアメリカでは1920年から1933年までの間、消費用アルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止された時代がありました。

この法律が施行される前、19世紀末から20世紀前半にかけて、英国ではプロテスタント教会が集会を開いてアルコールの代わりに紅茶を勧め、その結果紅茶が広まったといいます。また他の欧州諸国でもキリスト教の教職者らによる禁酒団体がいくつも成立しました。

アメリカでは1869年に禁酒党という政党が結成され、大統領選挙では毎回20万票を集めていました。

当時のアメリカの風潮では、アルコールの乱用は社会的に受け入れられていませんでした。アルコールは健康被害や治安悪化をもたらす原因とされ、そのうち飲酒行為そのものだけでなく、酒を提供するバーやそこで行われる売春行為、さらに家庭不和や女性解放運動などとも関連づけられながら、各地で禁酒運動が高まりました。

こうした社会情勢を背景に、下院議員アンドリュー・ボルステッドが禁酒法を推進し、1920年にアメリカ憲法修正第18条が施行されアメリカの禁酒法時代が始まりました。

ボルステッド

禁酒法はアルコールの製造、販売、輸送といった提供者側の行為を禁じましたが、飲酒そのものは禁止しない、いわゆる「ザル法」でした。アルコール提供者の側を封じ込めれば世の中から酒がなくなり、病気や犯罪のない社会に生まれ変われると信じたのです。このことで多くの矛盾と混乱が生じました。


禁酒法の問題点

飲酒行為が禁止されなかったため、法律の施行直前に多くの人々は自分が飲むためのワインと酒を大量に買い占めました。飲酒量が減って人々が健康な生活を送れるようになる、という禁酒法の目的は実現されませんでした。

また施行後にはあちこちにヤミ酒場が生まれ、結局禁酒法以前よりも酒場の数は多くなってしまいました。

アル・カポネなどシカゴの悪名高きギャング達は、違法なアルコールで何百万ドルもの大金を稼ぐようになり、密造や密輸、窃盗などの犯罪が横行する社会になってしまいました。一方で政府は巨額の酒税収入を失ったのです。


禁酒法の廃止

こうして禁酒法に対する反感が次第に高まり、1932年ニューディール政策を掲げて大統領選に勝利したフランクリン・ルーズベルトは、禁酒法を改正し4%のビールとワインの製造を許可しました。翌年には追加の修正案が成立し、約14年間におよぶ「禁酒法時代」は終わりを告げました。

禁酒法の廃止

アメリカでは、州にアルコールの輸送を禁止する権利が委ねられており、現在でもアルコールの販売を制限したり禁止する郡が多数残っています。これらを「ドライ・カウンティ」と呼びます。

また1984年以降、アメリカで飲酒が許可される年齢は21歳以上となっています。

 

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