ハイランドの小規模な蒸留所は比較的高品質の製品を生産していましたが、特に高評価を得たウィスキーの多くは現在スペイサイドとして知られているグレンリベット地区で作られました。
この地区は密造酒の温床となり、グレンリベットは高品質の密造酒の代名詞になりました。ジョージ4世が1822年にエジンバラを訪れたとき、「王はグレンリベット以外何も飲まなかった」と言われています。
違法な蒸留所にとっては、密造酒を作ることが家賃を支払う唯一の手段であったため、地主もこれらの行為に目をつぶっていたのです。
やがて、1822年から1823年にかけて法律が改定され、酒造ライセンスのコストが劇的に削減されると、蒸留所にとってライセンスを取得し合法的に生産するインセンティブが働き、1823年からの2年間で認可された蒸留所の数は倍になりました。
これに伴い、違法な蒸留所はここからの数年間で急速に姿を消していきました。
※下図は違法蒸留装置の例 「EWA "Certificate in Scotch Whisky"」より